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# マネーコンシャスなくらし。

「マネーコンシャス」なくらし。 第3回

CAからアナウンサー、そして女性経営者へ。 いくら稼いでも貯められない私が出会った投資信託という選択

株式会社プラチナコンシェルジュ代表取締役

庭田幸恵さん

1990年、日本航空株式会社に国際線客室乗務員として入社。成田基地にて勤務。世界35都市のフライトを経験。その後、富山テレビ放送株式会社に入社。局アナウンサーとしてニュース番組の取材、情報番組の企画・司会を9年間担当。2006年、株式会社プラチナコンシェルジュを設立、代表取締役に就任。

キャビンアテンダント(CA)、アナウンサーという経歴を持ち、現在は、2020年東京オリンピック・パラリンピックに向けて益々需要の高まる観光コンシェルジュ会社の社長として活躍されている庭田さん。そんな彼女がこれまでいかにしてキャリアを築き、50歳を迎えた今何を思うのか、それぞれの時代のお金との向き合い方についてお話を聞きました。


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(CA時代の庭田さん)

世界中を飛び回った20代

CA、アナウンサー、女性経営者と華々しいキャリアをお持ちですが、最初のキャリア、CA時代はどのような生活を送っていらっしゃったのでしょうか?

「ロンドン、パリ、ニューヨークなど、35都市をフライトして、とにかく世界中を飛び回っていましたね。 1990年代に入り、バブル崩壊がはじまっていましたけど、独身でしたし、今思えばやりたいことはやって、欲しいものは何でも買える。そんな時代でした」

何でも買えたというCA時代、貯金はされていましたか?

「お給料はよかったので、会社の財形(※)で、知らないうちに300万円程度は貯まっていましたが、そのほかの貯金は全くしていませんでした。老後のために貯金や投資なんて発想すらありませんでした。当時はお金は貯めるものではなく、回るものだと思っていましたから」

(※)勤労者財産形成促進制度の略。給与の一部を天引きの形で積み立て、税制上の優遇や融資が受けられる制度のこと


仕事に子育て。必死で駆け抜けた30代

その後、アナウンサーへの転身をされた庭田さんですが、どのような転機があったのでしょうか?

「CAになって3年が過ぎた頃かな。憧れの職業でしたし、世界を飛び回って、やりがいのある仕事だけど、何となく自分のやりたいこととは違うのかなと思いはじめたんです。ちょうどその頃、高校の同級生だった彼から結婚という選択を迫られたこともあり、一度自分をリセットしたいなという気持ちから結婚を選びました。CAを辞めて地元の富山に帰り、専業主婦になって長女を出産、3年間は子育てに専念しました」


その後は、専業主婦からアナウンサーへ。ワーキングマザーとして働きはじめたんですね。

「そうなんです。今の私からは想像できませんけど(笑)。でも、やっぱり外に出たい!働きたい!!という気持ちが生まれてきて、モヤモヤとしていたんです。そんなときに、地元の富山でテレビ局のアナウンサー募集の広告を見つけ、これだ!と思い挑戦したら、まさかの合格(笑)。ママアナウンサーとして夕方の情報番組を長く担当したこともあって、富山の皆さんには今でもお声をかけていただきます」

お子さんもいらして、お仕事もされているライフスタイル。その当時の "お財布事情" はいかがでしたか?

「当時は共働きで持ち家もありましたので、地方で暮らすにはお金に困ることはなかったので、私自身この頃はまだまだ貯金や投資をする考えはありませんでした。お金よりも、出会いを大切にしていて、色々な方との人脈づくりが、結果的には、今の仕事につながる財産になりました」

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(おもてなし講義での一枚)


会社を設立。40代を前に新たなる挑戦!


その後、さらに会社設立という挑戦をされましたよね。

「はい。アラフォーになって、このままアナウンサーを続けることにも迷いが出てきて、CAとアナウンサーで培った "おもてなしの心" を地元のために!と、38歳のときに観光コンシェルジュ会社を設立しました」

貯金は特にされていなかったということですが、資本金はどうしたのでしょうか?

「そうなんです。起業するには資本金が必要だということに気づき、愕然としました。この時初めて "少しずつでも貯めとけば良かった〜" と後悔しましたね。でもやっぱり諦められなくて、結局、国民金融公庫で資金調達をしました。お蔭様で会社は順調に成長したので、起業して3年が経つ頃には会社の信用力も上がり、銀行からお金を借りることも可能となりました」

そして10年以上、女性経営者として走り続けてきたわけですね。

「その間、常に順調というわけではありませんでした。やっぱりトップに立って、特に若い人材や多様なスタッフを育てていくというのは大変なんですよね。一度体調を崩してしまい、半年間休んだこともありました。その時は、療養のためスイスに留学したのですが、留学資金に約300万円かかりました。でも、これも自分への投資!と思い切れたことは、心身共にとても良かったと思っています。今ではスタッフは30名を超え、コンシェルジュサービスの拠点を全国に拡大するため、元気に営業に駆け回る日々を送っています」


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シングルに戻った50代。益々輝く人生のためにできること

20、30、40代を駆け抜けて50歳を迎えられて、今どんな心境ですか?


「天命を知る歳になったなという心境ですね。自分に何ができるのか、これからが本当の意味での挑戦への幕開けかなと。将来的には「コンシェルジュ×AI(人工知能)」というビジネスモデルを構築していきたいと思っています」

プライベートでも変化があったとか?

「はい。1年ほど前、娘が独り立ちしたということもあって25年の結婚生活にピリオドを打ちました。まさか50歳で独身になるとは...、まあ想定外のことではあったんですけど、これも私らしい決断、人生なのかなって。今は絶賛独身謳歌中!ですよ(笑)」

会社も順調で、お金の心配はまったくなさそうですね。

「今のところはそうですね。でも経営者として、お金への危機感がないのは少しまずいかな、と思いはじめています。私のような個人経営者には、そもそも定年はないし、最近良く耳にする「人生100年」を考えると、今の私はまだまだ折り返し地点ですからね。そういった思いもあり、最近友人にすすめられて、NISA口座を開設しました。
年間120万円までの非課税投資枠があるというし、シャンパン代を少し投資に回すって感覚でこれから投資をはじめようかなと。忙しいですし、投資初心者なので、まずは投資信託から挑戦してみようかなと思っています」

かつて「貯金」や「投資」に全く関心がなかったという庭田さん。今や経営者として、一人の女性として、これからも前を向いて歩んでいくためにはじめた「投資信託」という選択が、また一つ彼女の新たな転機となるかもしれません。

インデックスファンドとは
インデックスファンドとは 特定の市場全体の値動きを示す指数(インデックス)に連動する運用成果を目指す投資信託です。
野村インデックスファンド 愛称:Funds-i(ファンズアイ)
野村インデックスファンド 愛称:Funds-i(ファンズアイ)とは、野村アセットマネジメントが設定・運用を行うインデックスファンドシリーズの愛称です。
商号:野村アセットマネジメント株式会社
金融商品取引業者 関東財務局長(金商)第373号
金融商品取引業の種別:投資運用業、投資助言・代理業、第二種金融商品取引業
加入協会:一般社団法人投資信託協会/一般社団法人日本投資顧問業協会/一般社団法人第二種金融商品取引業協会